こんにちは。NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」を奥様に見させられているストロベリンです。
現在放送中の「あさが来た」では、明治維新後に陸蒸気(おかじょうき)、いわゆる鉄道が利用される時代になっていく過程が描かれています。その原料となる石炭が重宝される時代になると読んだ主人公の”あさ”は、傾いた家業を立て直すべく炭鉱経営に乗り出し、読みどおり成功しつつある、というところが今の物語。
どんな分野でもそうですが、新しいものに対しては必ず拒絶反応が起きますよね。移動用の駕籠屋さんがどんどん少なくなり、馬車が走るようになったと聞いたあさのご主人は、「なんでも西洋化していくけれど、それでいいのか」といった主旨のことを呟きます。新しい技術や新しいライフスタイルに対する不安と、失われゆく文化への寂寥感でしょうか。
技術革新があったとしても、プラスよりマイナスを先に考えがちなのは世の常。ワープロが普及し始めのときも、パソコンが普及し始めのときも、インターネットや携帯電話もそうでした。新しいもの、現状動いていることを覆すような革新は、それがいかに便利であるとしても、それによるライフスタイルの変化が不安だったり、ゆえに嫌がったりするものなのかもしれません。
EVやFCVに対してもそういう面がありますよね。バイクが電気で動き、クルマが電気で動くことが環境的に良いと分かっていたとしても、内燃機関で培ってきた技術を少しでも下回ると、先にそれを挙げてしまう。やれ長距離が走れないとか、電池が高額だとか。。。変化に対する抵抗に加えて、エンジン車がやがてなくなっていくであろう寂しさ、すなわち”エンジン愛”が裏にあるのかもしれません。先般、ホンダが遂に2017年を目途に「EVカブ」の市販化を決定したとのニュースがありました。どんなポテンシャルになるのかはまだ分かりませんが、「カブ」の名を冠してショボい電動バイクは出せないはずですから、ホンダは本気でしょう。大手メーカーもいよいよEVに本腰を入れざるをえなくなっているのだと思います。ただ、既存メーカーは内燃機関への愛情が強すぎて、社内には根強い抵抗があるのかもしれませんね。
現代は移動手段が変化していく境目にあります。それを目の当たりにしているのかと思うと感慨深く、また面白いです。「昔はガソリンスタンドというものがあったんだよ」なんてことを子供たちに言う日が、いずれやって来るのでしょうか。。。